人間科学科教授の牧野誠一先生が書籍を出版されました
牧野先生に、このほど出版された『北海道における自閉症の子ども達への対応の歴史~主に教育的支援の面から~』(かりん社)についてお話を聞きました(以下 敬称略)。
-この本をまとめられたきっかけについて教えてください。
牧野:今から40年以上前の昭和47(1972)年、「自閉症(当時は情緒障害児に分類されていましたが)」の子どもたちのための学級が、北海道では初めて札幌市と江別市にできました。翌年、私が教員として勤務していた千歳市でも同様の学級ができ、28才だった私はその担任となって、それ以来自閉症の子どもたちと関わりを持つようになりました。その後、昭和49(1974)年に、道内の自閉症児教育に携わっている教員が連携して自閉症の子どもたちのための教育や療育を考えようという研究会(北海道情緒障害教育研究会)ができました。発足から40年たち、ここらで会についての包括的な記録を作ろう、というのがきっかけです。北海道での初めての自閉症の診断から、親の会の記録、教育がこれらの子どもたちにどのように対応していったか、などがまとめられています。
—北海道での40年の歴史を振り返って、ということなのですね。自閉症児の教育を考えるにあたり、北海道の特色のようなものはありますか?
牧野:東京などでは拠点校があり、そこに週に何度か、周辺の学校の自閉症の子どもたちが通って来るという「通級方式」が主に採られています。しかし北海道では、立地及び気候的な条件から、子どもたちが通うのは一つの学校です。学校間の距離がありすぎたり、冬などは寒すぎるなどで、簡単には通級できないのです。つまり、その学校の先生は子どもたちの学習や生活上の教育を全て一手に引き受けなければならないということです。そのような場合、とにかく目の前の子どもに対応するためには、様々な方法を組み合わせてやっていかなければなりません。いわば、「折衷式」教育です。この点は、北海道の特徴だと考えます。ちなみに、前本学教授の伊藤則博先生は、本書の中で、このような「折衷式」教育を「道産子的」と呼んでいます。
-本学の学生には、この本からどのようなことを学んで欲しいとお考えですか?
牧野:「折衷式/道産子的」教育の意味について考えて欲しいです。これは、単に「なんでもあり」的に組み合わせればいいというのではなく、目の前の子どもたちが「happy」であるために、私たち教員が何をどうすべきかという問題意識から来ています。私たちは、ともすれば方法にとらわれがちですが、子どもとその幸せを中心に考えるということ、そして方法はその後からついてくるのだということ、これらのことをしっかりと考えて欲しいと思います。
<記事と写真:舛田>